僕が、"社会を変えたい”そんなことを思いだしたのは小学6年生のとき。
キッカケは、手塚治虫先生だった。
小学4年生の頃、家にボロボロの『火の鳥』があるのを見つけた。
それが初めての手塚マンガとの出会いだった。
その前からジャングル大帝などは知ってはいたけど、読んだことはなかった。
そこから手塚マンガのおもしろさにはまって、毎週図書館へ行って読んでいた。
数ヶ月後、1週間ほど海外へ行くことになり飛行機で読む物を探すために本屋へ行った。
もちろん目当ては、手塚マンガ。
いろいろ物色した結果、デザインがカッコよかったので『ブラックジャック』を選んだ。
飛行機の中で、何度も何度も読んだ。
2冊しか買っていなかったので、ストーリーを全て覚えるくらいに繰り返し読んだ。
「世の中にこんな面白いマンガがあるのか?」そう思うくらいの衝撃だった。
帰国後は、ブラックジャックシリーズを全て読み、『七色いんこ』『ミッドナイト』と読んでいった。
小学6年生のとき。
夏休みの宿題で「偉人についての新聞を作りましょう」というのがあった。
手塚先生にどっぷりはまっていた僕は、迷わず”手塚治虫”を選んだ。
調査しなければならないので、友達と2人で2時間くらいかけて宝塚にある手塚治虫記念館へ行った。
そこで、今まではマンガだけでしか知らなかった手塚治虫という人をいろいろと知ることができた。
その後、いろいろな作品を読む中で手塚先生が伝えたいメッセージの一つを感じるようになった。
それは、”反戦”
当時、漠然と"どうして戦争は、なくならないんだろう?”と思っていた。
手塚先生は、ペン1本で”戦争反対”というのを訴えていた。
必死で。
なにかで読んだのか、それともマンガから感じたのは覚えていないけど、僕はその手塚先生のメッセージに震えた。
手塚先生は、マンガで世界を変えようとしていた。
社会に影響を与えたり、戦争をなくすことはどうしたって無理だろうと思っていたときだったので衝撃だった。
ペン1本でも世界を変えることができる。
じゃあ、僕はなにをしよう?
具体的になにをすれば良いかはわからなかったけど、どんな職業であっても世界に影響を与えられると分かり、
「俺もいつか世界を変えてやる!!」
そんな風に思うようになった。
私にはただひとつ、これだけは断じて殺されても翻せない 主義がある。
それは戦争はごめんだ、ということだ。 手塚治虫(『手塚治虫エッセイ集』より)
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