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2011年6月30日木曜日

「社会起業家とは?」をカップラーメンから考えてみた







先日、大阪池田にあるインスタントラーメン工場へ行ってきました。
自分でカップヌードルのデザインが書けるということで、ワクワクしながら阪急電車に乗って向かいました。




自分だけのオリジナル・カップヌードル


自分で作るのももちろん楽しかったのですが、それ以上に僕の心を捉えて離さなかったのが
カップヌードルが出来るまでの展示。




館内には、カップラーメンが出来た経緯なども展示されており、百福さんのカップラーメンに対する想いなども書いていました。




戦争が終わり飢えで苦しんでいる人たちを救うためには、安くておいしいものを提供することが大切だと考えてカップヌードルの開発に取り組んだそうです。





社会起業家とは?





この話を聞いて、ふと思いました。
「"社会起業家"ってなんだろう?」と。

パナソニックの創業者である松下幸之助さんは、安くて品質の良い電化製品を作り、多くの人の暮らしがよくなるようにしたいと思って事業をしていたといいます。


百福さんや幸之助さんは、私的な思いではなく
社会のため、人々がより幸せに暮らせるようになるために事業を興したと思うのです。


しかし、日清もパナソニックもNPO法人ではなく、株式会社であり、営利企業です。




社会起業と一般的なビジネスの違い


社会起業(ソーシャルビジネス)とは、『社会的な問題をビジネスの手法を使って解決すること』などとしばしば紹介されます。

どうも、わかるようでわかりにくい。


社会起業とは、”マイナスをゼロやプラスにすること”ではないかと思います。


食べるものがなくて困っている人に、安くておいしい物を提供することもそう。
シングルマザーが安心して働けるように子どもを預かることもそう。

ゼロの基準は、”当たり前”かどうか。



「お腹がすいたら、食事をする」
「子育てしながら、女性が働く」

これは、当たり前です。
いや、”当たり前でなくてはならない”と言ってもいいかも知れません。
(日本国内だけ話です)








僕は、子どもたち一人一人が自分に自信を持つことは当然だと思っています。
でも、今の日本社会では自分に自信が持てないで苦しんでいる子どもたちが大勢います。
小学生でうつ病になるというのは、にわかに信じがたいです。


一般的なビジネスでは、”足りない”とか”欲しい”ということに対してアプローチします。
つまり、ゼロからプラスやプラスからプラスなのです。

iPadなどのタブレットは、今までなかったものなのでゼロ。(なくて当たり前だったので)
それが出来たことによって、プラスになりますが、なくても困らないのです。
iPadがなければ、死んでしまうという人はいないでしょう。
より便利になるというだけの話。


ここが、いわゆる”ソーシャルビジネス”との違い。


今は、カップラーメンがなくても死ぬことはありません。
しかし、戦後すぐの食べ物が不足した日本では、カップヌードルがなければ多くの人が餓死したかも知れないのです。


まとめ


ソーシャルビジネスをしているから”えらい”とか、”すごい”なんてことはありません。
お寿司とハンバーグのおいしさを比べるのと同じように、一般的なビジネスとソーシャルビジネスを比較するのはナンセンスだと思います。


「そこに山があったから」と同じで、「問題に気づいたから」やっているという人が多いと思います。


百福さんもそうですよね。
飢えで苦しんでいる人がいて、それに対してどうしたら良いかを考えてカップヌードルを作ったのだから。


先日、「社会起業家という言葉についてどう思いますか?」という質問をうけました。


上記で述べたように、特に一般の起業家と一緒だと思います。

ただし、違う点はあります。

それは、使命感。
”気づいたものの責任”という言葉がありますが、この問題を放っておけば困る人がたくさんいるという逼迫感のようなものがあります。
待っている人がいるというのは、強く感じます。

ここがソーシャルビジネスの一番しんどいところであると同時に、一番おもしろいところでもあると思っています。




【編集後記】

大人の社会見学って楽しいですね。
いろいろ勉強になりますし、楽しい。
カップラーメンは、スタッフでおいしくいただきました。




2011年6月23日木曜日

ヒヤリングのメリットとデメリット



<wikipedia>


ヒヤリング
【特定の事案に対して、利害関係人や一般の意見を聴取すること】



昨日は、
子どもが3人いらっしゃるお母さんに
ヒヤリングをしてきました。

いろいろ参考になる点をアドバイスいただき、
企画を考えるキッカケになりました。


ここで改めて、
ヒヤリングをするメリットとデメリットを
考えてみようと思います。



【メリット】


・当事者のリアルな視点

事業者側が「必要」だと思っていても
ユーザーには「あまり必要ではない」
ということも多々あります。


そのような気づき、リアルなニーズは
ネットや統計データにはなかなか現れてきません。
地域に特有の問題があったり、
1人1人の悩みや思うことなどは、
聞いてはじめてわかることがたくさんあります。


・応援団

思いや、事業内容に共感していただければ
いろいろな面で協力をしてもらえるようになります。

何より、僕たちがサービスを届けたい人からの、
「ぜひ作って欲しい」「応援しているわ」という言葉は
とても励みになります。


・閃きにつながる

話をしていて、
なにげない向こうの一言が
企画の内容を決めるヒントになったりします。

一人で悶々と考えて悩んだときなど、
リフレッシュの意味を込めて、話を聞くことで
思いもつかなかったアイデアが出てくることが多々あります。



【デメリット】


・独自の視点

その人自身の問題や悩み、
環境や経験からのアドバイスなので
狭い視野になってしまいがちです。


イタリアンのお店が、
「お寿司が欲しい」と言う人の要望を聞かないように
聞ける要望と聞けない要望を
自分たち自信で判断しなければなりません。

全ての希望に応えることは、不可能です。


・価格信仰

「もうちょっと安かったらいいなぁ」
と言う声は、よくいただきます。
それを鵜呑みにして、ただただ価格を下げるだけでは
事業として成り立ちません。


『いくらまでなら出せるのか?』
『価格の比較する対象(競合)はどこなのか?』

ただ安くして欲しいという意見ではなく、
なぜ、この価格で受け入れられないのかを明確にしましょう。

もしかしたら、
そこまで魅力的なサービスではないのかも知れません。
なにかのサービスと比較して、
相対的に高いと思ってしまっているのかも知れません。

値段の根拠を聞き、価格を変えずに
その問題を解決出来ないかを考えましょう。


・ターゲットではない可能性

ヒヤリングしている人は、
ターゲットだと思っているけれど
もしかしたらそうでないかも知れません。


30代の女性に、カルティエの値段に関してアンケートを取ると
彼女たちの年収によって意見は違うでしょう。


同じような人でも
年収、地域、趣味などによって趣味嗜好、欲しいものは分かれます。


僕たちのように、子育てするお母さん向けビジネスの場合は
”子育て理論”によって変わってくるはずです。

熱心な人は、より多くのお金をかけるかも知れません。
人と違うことを子どもにさせたがるかも知れません。


想いによって、
必要なサービスやニーズは変わります。

今、話を聞いている人は
本当にターゲットなのか?
もし違うなら、どうして違うのか?

そうやって考えていけば、
よりターゲットを絞ることができます。









まとめ


ヒヤリングは、絶対に必要です。
自分たちの考えだけで進むのはあまりにも危険です。

話を聞くことで、
必要なサービスを絞ることができ、
不要なサービスは削ることができます。

しかし、声に耳を傾けすぎてしまい
なにをしたかったのかがぶれてしまってはいけません。




スターバックスの”第三の場所”というコンセプトは、
顧客の声を聞いた結果として出てきたものではありません。
どんなに体系的に顧客の声を収集したとしても、
『第三の場所をつくってくれ!』というような
気の利いたことを言うお客さんはいなかったはずです。
『閉店時間をもう少し遅くしてほしい』とか、
『こういう新しいメニューを入れて欲しい』というような
”ニーズ”が出てくるのが関の山でしょう。
そうした”声”をいくら寄せ集めても、それはコンセプトにはなりえません。


『ストーリーとしての競争戦略』(始まりはコンセプト p289)



この本に出ている言葉を借りれば、
『答えは結局われわれの頭の中にしかない』のです。


いろいろなニーズを聞いたとしても、
それを必要か不必要かを判断するのは自分たちです。

ヒヤリングさせていただく人たちの言葉は、
毒にも薬にもなります。

事業に繋がるすごいヒントになることもあれば、
迷走するキッカケになることもあります。


自分たちのコンセプトが明確でないと、
そういった言葉に惑わされます。

話を聞くことも大切ですし、
ニーズを知るためにアンケートすることも必要です。

しかし、それと同じくらい
自分で考え、核となるコンセプトを考えることが重要だと思います。



【編集後記】

コンセプトがあいまいなままヒヤリングをすると、
あいまいな問いしか出来ないので、あいまいな答えしか返ってきません。
結果、消化不良になってしまう。
そんなことが多々ありました。

今思えば、
自分で考えることから逃げていたんだろうなと思います。

2011年6月18日土曜日

アイデアがふってきた(後編)

どうしても一人で悶々と考えていると煮詰まってしまいます。
なので、メンバーと2人で
会って企画を考えようということになりました。

企画を考える前に、
お腹が空いたので天王寺の担々麺の店へ。


食事をしながら軽くブレスト。





食事中に閃いたアイデア


「自分たちの強みってなんだろう?」
「いろんなプロジェクトに取り組ませるのおもしろいよねー」
「なんか習い事ってしっくりこやへん」


などと言いながら辛い担々麺を食べていました。
そんなとき、ふと相方が


『運動会で一番取らせるってのはどう?』


というアイデアを出しました。

内容は、
”ガクカフェに来た子どもたちが
運動会の徒競走やマラソン大会で
トップを取るためにトレーニングする”

といったもの。


「それおもしろいかもー!!!」





その発言を元に、
アイデアがいろいろ湧いて来ました。


僕たちがやりたいことは、
子どもの自尊感情を高めること。


そのためには、なにかに挑戦する機会を作ったり
成功体験を与えることも必要です。

このアイデアは、そんなこと全てを兼ね備えている!
そう感じました。



・すごい不器用な子が、調理実習のときにすごいみじん切りを披露

・歌が下手くそで音痴と笑われていた子が、歌のテストのときに
ルチアーノパバロッティ並に歌い上げる

・体育会系バリバリの男子が、すごく器用にまつり縫いをする



そんな光景が目に浮かびました。


京都にある堀川高校には、
自分が興味あることに対して研究をする
探求科というものがあります。


似たような感じで、
子どもたちで課題や目標などを設定し、
それを達成するため
行動をおこすようになればおもしろい。


大人は、基本的にコーチングするだけ。


「他に方法ない?」
「それ、ほんまに出来る?」
「明日、なにしたらいいと思う?」

そんな問いかけをし、
子どもたちが自分で考えるようにします。
慣れてくれば、高学年の子どもが
低学年の子をコーチング出来るかも知れません。


アイデアが閃いた要因




今回、良いアイデアが思いついた要因を
いくつか考えてみました。


【リラックス出来る環境】
→担々麺食べながらだった


【1人で考え抜いたあとで、話をした】
→なにも考えないでブレストをするとアイデアは出ない。


【違う角度から考えてみた】
→”習い事”でなにも出なかったので、
”プロジェクト”ということで考えたら、
「運動会で一等賞」というアイデアが出た。





〜こんな一冊も〜





『アイデアのつくり方』

”アイデア”と言えばこの本。
何十年も読み継がれている名著。
「アイデア作成の五段階」といって、
どのように閃きへと導かれるか
具体的に書かれている点が秀逸。


(1)単純明快である(Simple)
(2)意外性がある(Unexpected)
(3)具体的である(Concrete)
(4)信頼性がある(Credible)
(5)感情に訴える(Emotional)
(6)物語性(Story)

という6つのフレームワークが
すごく使える。
アイデアを出すときに、
このフレームワークにあてはめて考えています。





2011年6月14日火曜日

アイデアがふってきた(前編)



具体的な企画を考える


週末に、メンバーと2人で
アイデアを出すためにブレストをしました。

当面の課題は、
「訴求できる具体的な企画を考える」ことです。

先月末、
メンターの方に

「枠組みや社会性、目の付け所に関しては悪くない。
でも、企画として弱い。
お金を払いたくなるような具体的なもの。
エッジの尖ったものが欲しい」
というアドバイスをいただきました。


それからというもの、
どういった企画をやればいいかひたすら考えました。


僕らの企画は、
”子どもたちを預かり、
そこに地域の人たちなども集めて一緒に食事する場所を作る”
というもの。


でも、「ただそれだけのためにお金を払う人は少ないだろう」
というのが、メンターの方の見解でした。



学童ではなく、習い事


そこで考えたのが、
”習い事という位置づけ”でした。


習い事のように
この場所へ来ることで
具体的ななにかを学べる場所にすれば
お金を払いたくなる。


塾では勉強を学ぶ。
ピアノ教室では、音感、リズム感、ピアノの技術。
体操教室では、運動神経、体操の技術。


では、僕たちはなにを教えるのか?


『強みを生かす』とドラッカーが言うように、
自分の強みや武器を使わないといけません。

けれど、
「得意なことは?」と考えても
そんな専門性などもっていません。

スポーツや音楽をやっていましたが、
そこまで”強み”と言えることでもない。


煮詰まってきたので、
”全脳思考”をやろうと思い、
メンバーと2人で会うことにしました。



【こんな一冊も】




『全脳思考』

企画を考えたいなと思ったときに、
使うのが”全脳思考”という手法。
煮詰まっていたのがウソのようにアイデアが出ます。
右脳を使うので、これを使った後ははグッタリ。
それくらい集中できます。
なによりやっていて楽しいです。
企画会議のとき、
参考書のように使っています。





『もし高校野球の女子マネージャーが
ドラッカーの『マネジメント』を読んだら』

”強みを生かす”ため、
この本の中では、
足の速い選手が代走専門になったり、
マネージャーの頭の良さを生かして
練習メニューの作成を頼んだりしていました。

2011年6月11日土曜日

”考えながら動く”なんてウソ



”考えながら動く”という言葉があります。

僕はこの言葉のとらえ方を間違っていたなと
この頃、思います。


自分がやりたいことが果たして社会の役に立つのだろうか?
本当に必要としている人がいるのか?
どうなれば成功?


そんなことを、1年くらいずっと考えていました。



「やりたいことは明確にある。
けれど、それは自分のエゴなんじゃないのか?」

そんな考えがずっと頭のなかをぐるぐる回っていました。


「考え過ぎちゃダメだな」と思い、いろいろ動いたりもしました。
しかし、どうもチグハグな感じ。


考え続けたことで見えたこと


今年の春。
助成金申請をしようと思い、
改めて自分がやりたいことを考えました。


毎日2~3時間かけ、思っていることを文章にまとめました。
出てきた疑問を次の日に考え、更に自分に問い直し、
何度も何度も考えました。


思考に思考を重ね、
考え続けていくと、なにが問題で、なにが課題。
どういう風になれば良いのか。
そういったことを、わかりやすく人に話せるようになりました。
なにより自分がやりたいことが明確になりました。


今まで漠然と思っていたことが
言語化することにより、
明確な形を帯びるようになりました。


そのときに、気がつきました。
自分は、考えているふりをしていただけなんだと。
ただ、考えることから逃げていたんだと。


考えるのはすごくめんどくさいです。

なにより、結果も含めて成果が見えにくい。
行動だと、達成感が持てます。


  • 誰かに会う
  • 相談をする
  • ヒヤリングをする
  • 資料を作成する

どれも形に残ります。
人にもアピール出来ます。


”考える”という作業は、見えないもの。
最終的に、まとまった考えしか披露することは出来ません。


答えが出ないと、
考えたことが全て水の泡になる可能性もあるのです。


だから、めんどくさい。


そんなこともあって考えることから逃げていました。
いや、当時の自分は
逃げていることにすら気づいていませんでした。



「考えすぎて動けない」は、ウソ


”考えすぎて動けない”という話は、良く聞きます。

「自分はこれに当てはまるなぁ」なんて思っていました。
でも、この言葉は間違っているのです。


考えていないから動けないのです。


例を出して考えてみましょう。




『アフリカの大草原をジープで滑走したい』
という夢があるとします。
叶えるためには、いろいろ調べるでしょう。


旅行ルート、飛行機代、準備物、危険度…etc


しかし、調べていくうちに
アフリカがかなり危険だということがわかりました。


ライオンに襲われるかも知れない。
マラリアにかかるかも知れない。
毒蛇に噛まれるかも知れない。


いろいろなことを考えてしまい、
行動に移せなくなるのです。


これが、世間でいうところの
「考えすぎて動けない」という状態です。


そこで、よく薦められる方法が”行動すること”



「アフリカへ行くって決めればいいんだ。
行動してしまえば、なんとかなるよ」


さすがにアフリカ旅行では、
こういうことを言う人は少ないかも知れません。


でも、同じような感じで
「とりあえず、動いてみればいいんだよ」
と言っている人を見たことがあるはずです。


では、この場合はどうすれば良いのか?


それは、”深く深く考える”のです。


ライオンに襲われたらどうしよう?
実際に、ライオンに襲われる人はいるのか?
いるとしたらどのくらい?どんな場面?どんな場所?


などと想定されることを全て考えるのです。


懸念に思ったり、悩むことには意味がありません。
大切なのは、考えて考えて、次のアクションを決めること


仮説を立て、
それが正しいかどうかを確かめるために行動してみる。
(いわゆる、PDCAサイクル)

これが”とりあえず動く”の正しい説明です。





僕自身、まだまだ考える力が足りていないなと感じています。
気がつくと考えることから逃げてしまい、
ただの作業をしているときがあります。


場所の選定やターゲットの明確化など
考えないといけないことがあります。

行き当たりばったりでやっていれば、
成功確率は下がり失敗してしまいます。
失敗すれば、
僕らが届けたいと思っている人たちにサービスを提供できません。
それが一番問題。

そのためにも、
考えることから逃げず、
「とりあえず動く」なんて甘えたことを言わずに、
脳から血が出るくらい考えていきましょう。




【編集後記】
”考えながら動いている”ように見える人の多くは、
”考えてから動いている”と思います。
上記に述べたように、思考は見れないので
なにも考えていないように思えますが、
ある程度の仮説を持って行動をしているはずです。

僕のような凡人はそんなスピーディーに出来ないので、
1つ1つ深く思考していかないとなぁと感じます。
しかし、時間をかけたら良いという問題でもないので
難しいところですが。



【考えるときに参考にした本】



『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』

この本を読んで、
「考えることが逃げてる」というのに気がつきました。
少し難しいですが、この本のおかげで
”考えていてパニックになる”というのがなくなりました。

2011年6月8日水曜日

子どもを評価する物差しは、勉強か運動だけ?




【子どもが持つ無限の可能性】

僕は、子どもたちには無限の可能性があると信じています。


環境によってチャレンジ出来ない。
自信がないから出来ない。
そんなことがすごくもったいないように感じていました。

僕自身、自信がなくて挑戦することが出来ず、
未だに過去を悔やんでいます。

その後悔から、
”子どもたちにはそんな経験して欲しくない”と思っています。


「子どもたちの可能性を伸ばす機会をつくりたい」

そんな想いから、教育のフィールドに来ました。




他にも才能はあるはずだ!


学校での物差しは、ほとんどが勉強。
あとは、運動です。

勉強出来る子は、周りや先生から尊敬され、ほめられる。
運動が出来る子は、体育祭で活躍し注目を浴びる。
どちらかが得意でないと、
先生や大人から(ほとんど)認められません。

でも、僕は思うのです。


「勉強や運動は出来なくても、
芸術の才能があるかも知れない。
学校の勉強以外の知識は豊富かも知れない。
もっとほかに得意なことがあるのかも知れない」と。

勉強や運動に関しても、
「ただ、努力の仕方を知らないだけかも知れない」とも。



偽善でも、やらないよりマシ


学校の場で、1人1人の才能を見つけるのは難しいと思います。
クラス30人全員を把握し、
ジンセイについて考えてあげることを先生に求めるのは酷です。
勉強だけでも大変なのに!

共働きの家庭も増え、家庭で全ておこなうのも難しい。

「学校が悪い」
「親が悪い」
「社会が悪い」

誰かのせいにするのは簡単。
でも、僕は自分で行動を起こし、
変えることが出来ないかなと思いました。

「子どものため」というより、自己満足に過ぎないと思います。
「俺なら変えられる」という過信かもしれません。

でも、”なにもしないよりも偽善のほうが価値がある”と僕は信じています。

2011年6月2日木曜日

市民活動支援センターへ相談に行きました



昨日は、八尾でヒアリングだったので
その足で、市民活動支援ネットワークセンターへ行ってきました。


八尾市には、
「市民活動支援センター(つどい)」という場所があり
様々な活動をサポートしてくれます。

団体登録をすれば、無料で会議室を借りたり、印刷などもできます。

登録するためには、
最低5人以上のメンバー(半分以上が八尾市民)が必要ということです。

まだ、僕たちは3人ほどなので
これから集めていこうといったところです。



また、近くに
「子育て支援ネットワークセンター(みらい)」という
子育てサークルの紹介や登録などをしているところがあったので
そこにも伺ってきました。

学童をするにしても、コミュニティカフェにしても
やることが少し違えば、対応する部署も違うらしく
直接、市役所の関連する課へ出向き
相談をしたら良いというアドバイスをいただきました。



今は、企画を詰めつつ
サポートしてくれる人を集める段階。


いろいろなところへ相談に行って、
次の一手を考えていこうと思います。