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2011年6月8日水曜日

子どもを評価する物差しは、勉強か運動だけ?




【子どもが持つ無限の可能性】

僕は、子どもたちには無限の可能性があると信じています。


環境によってチャレンジ出来ない。
自信がないから出来ない。
そんなことがすごくもったいないように感じていました。

僕自身、自信がなくて挑戦することが出来ず、
未だに過去を悔やんでいます。

その後悔から、
”子どもたちにはそんな経験して欲しくない”と思っています。


「子どもたちの可能性を伸ばす機会をつくりたい」

そんな想いから、教育のフィールドに来ました。




他にも才能はあるはずだ!


学校での物差しは、ほとんどが勉強。
あとは、運動です。

勉強出来る子は、周りや先生から尊敬され、ほめられる。
運動が出来る子は、体育祭で活躍し注目を浴びる。
どちらかが得意でないと、
先生や大人から(ほとんど)認められません。

でも、僕は思うのです。


「勉強や運動は出来なくても、
芸術の才能があるかも知れない。
学校の勉強以外の知識は豊富かも知れない。
もっとほかに得意なことがあるのかも知れない」と。

勉強や運動に関しても、
「ただ、努力の仕方を知らないだけかも知れない」とも。



偽善でも、やらないよりマシ


学校の場で、1人1人の才能を見つけるのは難しいと思います。
クラス30人全員を把握し、
ジンセイについて考えてあげることを先生に求めるのは酷です。
勉強だけでも大変なのに!

共働きの家庭も増え、家庭で全ておこなうのも難しい。

「学校が悪い」
「親が悪い」
「社会が悪い」

誰かのせいにするのは簡単。
でも、僕は自分で行動を起こし、
変えることが出来ないかなと思いました。

「子どものため」というより、自己満足に過ぎないと思います。
「俺なら変えられる」という過信かもしれません。

でも、”なにもしないよりも偽善のほうが価値がある”と僕は信じています。

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